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神津島の怖い話&伝説トップ3!決して外に出てはいけない日

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神津島の怖い話&伝説トップ3!
決して外に出てはいけない日。

「神津島の怖い話&伝説トップ3!決して外に出てはいけない日。」

2024/05/23

目次

    はじめに

    神津島で代々伝わる伝承

    神津島は東京から南に位置し、伊豆諸島の一部として知られていますが、その美しい自然景観だけでなく、数々の謎に包まれた怖い話や古くからの伝説でも注目されています。静かでありながら、どこか不思議な雰囲気を持つこの島には、長い歴史の中で形成された独自の文化や伝統が息づいており、それが今に伝えられる形で不思議な話として語り継がれています。海に囲まれた孤島であるがゆえに、外部からの影響が少ない独自の社会が育まれ、そこでは自然現象や人々の生活にまつわる神秘的な話が多く生まれました。

    特に、神津島においては代々伝わる伝承が豊富であり、科学では説明がつかない事象が語られ、訪れる人々の興味を惹きつけます。島民たちはこれらの話を大切にしており、島の歴史や文化を今に伝え、訪れる人々に深い印象を与えています。

    この島の魅力の一つに、そうした謎多き伝説が挙げられますが、それらは単に過去の出来事を伝えるだけではなく、島の文化や信仰、日常生活においても重要な役割を果たしています。今回紹介するトップ3の怖い話&伝説は、それぞれが神津島の独特な環境や歴史の中で生まれ、代々語り継がれてきたものです。これらの話を通じて、島の風土や人々の生き方、そして未知なるものへの畏敬の念が感じられることでしょう。

    読者の皆さんにおかれましては、この文章を通じて神津島の不思議な話や伝説に少しでも興味を持っていただけたら幸いです。ここには書ききれないほどの魅力があり、それを実際に体験してみることで、島の真実の美しさを感じることができるでしょう。神津島の神秘的な雰囲気とともに、そこで語られる伝説の数々が皆さんを待っています。

    神津島の伝説&怖い話トップ3

    神津島で語り継がれている話

    神津島には古くから数多くの伝説や怖い話が語り継がれています。その中でも特に知られているのが「二十五日様」の伝説、「おたあジュリア」にまつわる話、そして「ねこまた」の伝説です。これらの物語は、島の文化や信仰の深い部分を反映しており、地元の人々にとって重要な意味を持っています。

    「おたあジュリア」について

    神津島にある「ありま展望台」は、その高さ約10メートルの真っ白な十字架で知られています。この十字架は、おたあジュリアを記念して建てられたものです。おたあジュリアは朝鮮の両班の娘とされ、豊臣秀吉の朝鮮出兵時に3歳前後で保護され、キリシタン大名の小西行長の妻、菊姫の元で育ちました。彼女はイエズス会の修道院長ペドロ・モレホン神父から洗礼を受け、キリスト教徒となりました。関ヶ原の戦いの後、彼女は駿府城の大奥で徳川家康の側室の侍女を務めましたが、キリシタンとしての信仰を棄てることを拒否し、家康の側室になることも拒んだため、1612年の天領に対する禁教令と1613年のバテレン追放令により、駿府を追放されました。他にも島流しにあった罪人たちは手足の親指を切られる者、生きていけない離れ小島へ流される者、多くをみせしめとしていました。

    おたあジュリアはその後、伊豆の網代から伊豆諸島に流され、伊豆大島で30日間、新島で15日間滞在した後、神津島に流刑となりました。神津島での彼女は、キリスト教を布教し、学問を説くなどして地域社会に大きな影響を与えました。そのため、神津島は彼女の生涯の最後の地とされ、島には彼女の墓とされる場所もあります。この記念碑的な十字架は、彼女の遺徳を島民に思い起こさせる存在となっています。

    「ねこまた」について

    昔々、神津島の「日向」にネコマタと呼ばれる生き物が住んでいました。このネコマタは、口が赤く裂け、二つの尾を持つ大きな山猫でした。多幸の港で魚が豊富に獲れると、その匂いに誘われて必ず現れました。ある日、ネコマタと遭遇した漁師がいます。ネコマタは人を襲うほど凶暴で、漁師は捕まった魚を一匹ずつ道に投げ捨てながら必死で逃げ続けましたが、やがて魚が一匹も残らなくなりました。

    漁師が秩父山の地蔵様の前まで逃げ込むと、地蔵様の目が光り始め、その光にネコマタは怯えてこれ以上追いかけてこなくなりました。以降、多幸の砂浜にネコマタの足跡が見つかると、人々は夕方前には峠を越えるよう急いだそうです。ネコマタは魚を好んで食べ、時には化けたり取り憑いたりすることがあるため、多幸で魚が獲れた際には特に警戒するよう言われていました。

    「二十五日様」について

    伊豆諸島には、旧暦1月24日前後の数日間、夜間の外出を控え、外に光を漏らしてはいけないと言い伝えられている風習が現代にも残っています。
    神津島の「二十五日様」とは特別な日で、島全体が異なる雰囲気に包まれ島民は以下のような行動規範を守ることが伝えられています。

     

    ・海に近づかない
    ・労働を避ける
    ・日が沈んだ後の外出を控える
    ・早く就寝する
    ・家の外に光を漏らさない

     

    この言い伝えは、島内の子供たちにも影響を与えており、多くの子どもが「二十五日様」の存在に怯えると言われています。同様の風習は近隣の島々にも見られ、大島では「日忌様」、利島、新島、式根島、三宅島では「海難法師」、御蔵島では「忌き日の明神」と言われております。

    ※ここで述べる内容は確定的なものではなく推測に過ぎない点をご理解ください。


    【神津島の「二十五日様」の背景】
    この日は、神津島内の道祖神である猿田彦神を拝礼する神事が行われます。伝えられるところによれば、猿田彦神はその外見から天狗の元祖とも言われ、自身の容姿にコンプレックスを抱いています。伝説によると、素顔を見た者には、彼が身に着けていた「釜」で顔を覆い、取り憑いて命を奪うとされています。このため、島内を巡る神事の際は、誰もが神を直接見てはならず、夜間の外出も控えるべきとされています。これが「夜に出歩くと祟りにあう」という風習に発展したと考えられます。

     

    【二十五日様の期間と流れ】
    旧暦1月23日(三夜待ち):夜更かしし大騒ぎをしても良い日
    旧暦1月24日および25日(二十五日様の畏れる日):海や畑の仕事をせず、早くに家に帰り、早く寝ます。家の外には光を漏らしてはなりません。
    旧暦1月26日(子だまり):子どもは早く寝る日

     

    【怨霊の二十五日様】
    この伝説の元は寛永5年(1628年)に遡り、豊島忠松が溺死した事件が起源とされており、起源には複数の説がありますが、一つには豊島忠松が若者25人によって殺害され、25人が島を船で出て他の島に助けを求めたがかくまってもらえず、三宅島に向かう途中で海難事故で亡くなった。その若者25人が事故のあった1月24日に怨霊になって現れるとされています。

     

    神津島の「二十五日様」に関連する風習や信仰は、長い歴史を通じて島民の生活と密接に結びついており、島の文化的アイデンティティを形成する重要な要素です。このような伝統が今もなお色濃く残る神津島は、その神秘的な魅力で訪れる人々を引きつけてやみません。

    これらの伝説や怖い話は、神津島の文化や自然環境と深く結びついており、島の歴史や伝統を色濃く反映しています。島民にとってこれらの話は、自然への敬意や祖先からの教えとして受け継がれているのです。

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    地元民・旅行客の怪談話

    実際の体験談

    神津島の神秘的な風景は、訪れる人々に深い印象を残すだけでなく、時には不可解な体験や怖い話の舞台ともなります。このセクションでは、島の住民や旅行客が実際に体験した怖い話や不思議な出来事を紹介します。これらの話は、日常生活の中で感じる島の異常な現象や、訪れた人々の間で共有される不思議な経験から集められました。

    【浮遊する白いワンピースの女性】

    島のいたるところで目撃情報が多発している白いワンピースをきた長い髪の女性。

    体育館や山の中、夜中2時頃廊下を浮遊し行き来していたという目撃情報もアリ。

    【カチカチさん】

    こちらも夜中2時頃、玄関の方から誰かを呼ぶ声がしたがこんな時間に人が来るはずもなく寝たふりをした。すると足音が部屋に近づいてきて、頭の上でとまりしばらく沈黙が続いた。

    そして、突然笑い声とともに電気が高速でついたり消えたりを繰り返した。

    それでも寝たふりを続けると気づいたら消えていた。

    【〇〇爺】

    夜中泣いているとやってくる妖怪。とてもでかく、足音で家が揺れる。

    泣き止まないと、布団から足を引っ張り引きずり出され、連れていかれる。

    【追いかけてくる足】

    深夜ドライブをしていると、ゆらゆらとオーブが飛び出し不穏な空気が漂う。

    そして遠くからだんだん足音が近づいてきたのでみてみると、足だけがこちらに向かってきていたので急いで逃げた。

    怖い話を読む心構えと安全な探索のアドバイス

    ガイドラインやルールを理解し、遵守すること

    怪談話を楽しむ際には適切な心構えが必要です。特に神津島のような場所で古くから語り継がれる伝説や怖い話には、その背景にある文化や歴史への敬意が求められます。また、島を探索する際には安全に注意しながら、自然と未知のものへの尊敬を持つことが重要です。

    神津島には多くの伝説が存在し、それらは島の自然環境や歴史的事件が反映されたものです。そのため、これらの話を扱う際には、敬意と理解を持って接することが求められます。

    次に、島を探索する際の安全な方法についてです。島内の未開の場所や心霊スポットを訪れる場合、事前に地元のガイドラインやルールを理解し、遵守することが非常に重要です。自然環境を尊重し、地元の住民のプライバシーに配慮した行動を心掛けてください。また、山道や海岸線など、地形が危険な場所では特に注意が必要です。適切な装備を持ち、天候や地域の状況を事前にチェックし、無理のない計画を立てることが不可欠です。

    楽しみ方として、これらの話を通じて学びを深め、文化的な背景を理解することも一つの方法です。話に登場する場所を訪れることで、その土地の歴史や自然に直接触れることができ、より深い体験が可能になります。ただし、探索は常に安全第一で行い、不必要なリスクは避けるようにしましょう。

    神津島の怖い話や伝説は、単にスリルを求めるものではなく、島の歴史や文化、自然環境と深く結びついています。これらを楽しむ際には、その土地の精神を理解し、尊重することが、より豊かな体験へとつながります。

    神津島の人気観光スポット

    神々が集う神聖な地

    神津島は古来から神々が集うとされる神聖な地であり、訪れる者に深いエネルギーと癒しを提供してくれます。神津島のパワースポット巡りは、心身のリフレッシュはもちろん、日常の喧騒から離れ、自然の中で自己と向き合う貴重な機会を与えてくれます。

    ↓↓↓神津島パワースポットに関する記事はこちら↓↓↓

    神津島には自然を神として崇める日本固有の信仰が色濃く残っており、それが現在も神社での神事や祭りを通じて伝えられています。神社の境内は、古代から続く自然崇拝の場として、訪れる人々に心の平穏を与えてきました。また、神津島の神社には、島の自然や歴史、神話に基づく多くの伝説があり、それらを知ることで、島全体に広がる見えないつながりや、地域に根差した共同体の絆を感じることができます。

    ↓↓↓神津島神社に関する記事はこちら↓↓↓

    伊豆諸島の神々が集まり、各島にどのくらい豊かな水を分配するかという会議が行われたという「水配り伝説」という、とっても神秘的な伝説の舞台である天上山もおすすめです。

    標高572mで神津島の最高峰としてその地位を確立しており、山頂からは周囲の海や他の島々、さらには天候が良ければ富士山の壮大な景色を望むことができます。

    ↓↓↓神津島天上山に関する記事はこちら↓↓↓

    さいごに

    神津島の不思議な魅力

    神津島の怖い話や伝説が、地元の文化や風習に与える影響は計り知れないものがあります。これらの話は、島の歴史や伝統、自然環境と深く結びついており、地元住民の日常生活や価値観にも影響を与えています。怖い話は単なるエンターテイメントとしてではなく、コミュニティの結束を強化する手段や、自然現象への理解を深める教訓として機能しているのです。

    このような文化的な背景を持つ神津島を訪れることは、島の豊かな自然や古い伝統に触れることができ、地元住民との交流を通じてその地域固有の生活文化を深く理解する機会を得ることができます。また、実際に伝説の舞台となった場所を訪れることで、その話が持つ意味や背景についてより深く考えるきっかけにもなります。

    読者の皆様には、この記事を通じて神津島の不思議な魅力に興味を持っていただけたならば、是非一度、実際に島を訪れてその全てを体験してみてください。島の美しい自然はもちろんのこと、地元住民から聞くことができる数々の話に耳を傾けることで、島の魅力を一層深く感じることができるでしょう。神津島が持つ多様な文化と歴史を肌で感じ、自らの目で確かめることで、読者自身の知識や経験が豊かになること間違いなしです。

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